2014年04月29日

25年度 豊橋凧保存会 総会 レストラン高千穂 竹内一八君入会す!



竹内一八君 豊橋凧保存会に入会 
新たな風を期待

9/27-28 全国凧揚げ大会in豊橋
企画運営を任せたい!



2014年04月29日

渡邉家の虻凧物語 その4



そして今年、四一の50回忌である3月2日は日曜日。
その前日の3月1日しか凧揚げにふさわしい日はない!と

1年も前から思っていたのに連絡が遅れ、
近くになってからの連絡だったのに皆さん都合がつき凧揚げが実現したこと



そしてまた、この年に初凧を揚げるのにふさわしい年回りで
(長女:詩乃に) 「徠翔」が生まれたこと

これはもう、ご縁でしかありません

まるで故人があの世から糸を操っているのではないかと
(凧だけに)思われるようなご縁です。




〈26.3.1 在郷虻凧揚げ モリコロパーク 
 念願の渡邉家 四一虻凧 50回忌に 合わせ 大空飛翔!!!〉

  名古屋古流蝉凧保存会 皆さん ありがとうございました!



先日は凧揚げ、ありがとうございました。
凧は大空に舞い上がり、長男自身も糸を手に持って凧を操ることも出来ました。

主人の祖父の供養にと、小学校の頃からの長男の希望を
叶えることが出来ました。

名古屋の凧の皆さん 田原の凧の皆さん
ありがとうございました。

平成26年3月5日 愛西市:渡邉さんより頂いた 
メールをご紹介させていただきました。

まだまだ 田原凧まつりの初凧揚げ(5/24)まで 
「渡邉家の虻凧物語」は 続きます・・・。
 



2014年04月28日

渡邉家の虻凧物語 その3

〈渡邉家の 虻凧復元は 名古屋古流蝉凧の 古橋元会長さんに依頼
 田原凧まつりに 持参いただき 初凧祈願祭に披露されました。〉



復元なった虻凧揚げは みなさん頑張って 揚げてくださったのですが
天候悪く 中を舞うばかりで 空には揚がりませんでした。

その上、木に引っ掛かってしまい 散々でした
長男は「出来ればこの手で糸を操って揚げたかった」と言いました

それで私は、凧の持ち主である主人の祖父の50回忌の法要の前後にもう一度
凧揚げをお願いいしようと心に決め、凧はまつり会館に預けてきました。



縁がなければ あのまま埃まみれで打ち捨てられていただろう凧が、
骨組のまま展示していただけるのでも陽の目が当たることなのに

復元されて新しい命を与えられ、まつり会館で多くの人の目に触れ
第2の人生を過ごすことが出来るのです。

果報としかいいようがありません。



2014年04月27日

赤エコ・赤す・赤い 合同 ナンキン付け 白谷:姫島漁港にて



大型連休 2日目 快晴
田原けんか凧 ナンキン付け

今年から 加治凧工房を離れ
青6・赤6のメンバーと一緒に

白谷:姫島漁港にて 赤い・赤す・赤エコ
合同ナンキン作業 です!



小松ダンプと凧す軽トッラに
3寸角材を番線にて 縛りつけ(一元親方)

約90mの間に 凧糸張る
中間に 脚立にて タレ止め

最初に凧糸 タオルで水したし 
引っ張り 伸ばす 



5人一組(理想)になり ナンキン付け
糊担当1人 拭き担当3 ナンキン担当1 

本日は4人組にて作業
神谷専用糊付け機が 力発揮
(もう1個注文だ!)



お隣では 赤6チームが 賑やかに
ナンキン糸作業中 元気一番のチームだ



赤す:6本 赤い:4本 赤エコ:4本
昨年の残りもあり 合計14本

さて、お楽しみの 焼きそば
バーベキューセット持ちこみ

心地よい海風受けながら
美味しい焼きそば 頬張る



好天 海風に 晒された 
ナンキン糸の回収だ

5/24-25 田原凧まつり
戦いの 準備完了 ・・・ お疲れさまでした!



2014年04月27日

渡邉家の虻凧物語 その2



さて、入学した娘はその経緯をほとんど知らないまま、
偶然にも学校としての凧まつり参加の実行委員になり、別の形での参加となりました。

最初の凧まつりの打合せの時から、我が家の凧は特別なものとして扱われ
鈴木さんそのことを説明した時ときに

「この学校の1年生に渡邉詩乃さんと言う方がおられると思いますが」といわれ、
周りがざわつき、自分のことだと気づいて手を挙げ

「私です」と言った時はさすがに恥ずかしいかったと娘は言いました。



凧まつり当日、娘が実行委員になっていることさえ知らない私たちは、
受付に娘がいることにも気付かず

「渡邉真二です。お願いします。」と声をかけると
「そうですよねえ」と聞き覚えのある声。

びっくりしました。娘はたぶん
間抜けな親だと思ったことでしょう



2014年04月26日

お待たせしました! 「祝:徠翔くん」 渡邉家の虻凧物語 その1 スタートで~す!

渡邉家の皆さんと 虻凧をキッカケに
お付き合い(交流)することに・・・

詳細はお母さんのメールで ご紹介いたします。



事の発端は、娘が高3の夏に、専門学校見学ツアーというのがあって、
娘がそれに参 加した事です。

その中に、田原市立福祉専門学校がありました。
ツアーから戻った娘は「保育と介護の仕事、どっちがいいと思う?」と 答えました。

私は「保育の仕事は走り回らなくてはいけないことが多いから、
年を取ってからも続けたいのなら、介護の方がと良いよ」と答えました



そして娘は、田原市立福祉専門校を受験しました。
下見のために田原へ始めて行ったとき

地図で「まつり会館」というのを見つけ、見学に行きました。
すると、田原は凧の町、凧まつりというのがあり、会館には様々な凧が展示されていました

長男が小学校三年生か四年生の時、「昔の遊びを知ろう」というテーマがあり
我が家の二階の物置に煤だらけで置かれていた、

主人の祖父の大きな凧を学校へ持って行き皆に見せた後、
先生の提案で「紙を貼りなおして実際に揚げてみよう」

という事になったこと。でも、それは小学校の子どもと、凧に関する何の知識も持たない
教師一人の手には余り、結局果たされなかったこと。



そのことを思い出し、そこで作業していた鈴木さんに
「ウチにもこんな感じの大きな凧の骨組があるんだけど」と、声をかけたのでした。

すると「骨組だけで、ここに展示させていただきますのでお持ちください」とのこと。
私はその時はすぐに返事が出来ませんでした。

大きな凧なので、骨組みだけでも持って行くのは大変だと思ったからです。
娘が合格したら「これはご縁だ」と思い、お願いすることに決めました。

そして、娘が合格し、正式に凧の骨を預かっていただきたい旨を連絡したところ
後日、「息子さんのためにも、是非、復元しましょう」と言う連絡

長男の喜びようと言ったら、言葉では言い表せないほどでした。
信じられないそんな顔をしていました。

続く・・・

プロフィール
凧す
凧す
田原凧の魅力に取りつかれた凧すが、愛:地球博でエコの竹ドームを知り、 その活用にと仲間と木好きらく会を設立・・・動くことが趣味の男なり!

お問合せは下記メールアドレスまで。
tako-mai@tees.jp

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